チームの生い立ち・・・
今でこそ世界的なスポーツとして知れ渡るNBA。そのNBAが世界的に有名なのがアメリカ合衆国ですね!そんなNBAには多くのチームがある中で一際、知名度の高いチームが・・・
マイアミヒート☆
このチームは特殊なチームの一つですね・・・僕はマニアなので詳しく書いたらキリがありませんが、少しずつ皆さんにも分かるように解析説明させて頂きます!
そもそものヒートは強かったのか???
いいえ。違うんです。
僕よりは強いのは当たり前ですが、バスケットマニアから言わせて頂くと最弱です・・・チーム創設からいきなり17連敗。結局のところ、チームは15勝67敗でシーズンを終えます。
チームが変わり始めたのは4年目。組織の幹部連中の解雇や新しいコーチの就任、新メンバー獲得等でヒート内が変わり始めました。
結局プレイオフには進出出来ないものの、新体制でのスタートを切ります。
ウェイドの時代
彼の名前は“ドウェイン・タイロン・ウェイド・ジュニア”
彼の幼少期はブルズのマイケル・ジョーダンが全盛で活躍していたときであり、激しい刺激を受けたそうです。
当然バスケに魅了された彼は高校時代から才能を発揮し、マーケット大学へ進みますが、このとき問題だったのが学業面です。
アメリカではいくら強くて有名な選手でも、学業が一定の基準を満たさない場合は公式戦に参加できないルールがあり、このとき成績が悪かった彼をスカウトしたのはわずか3校でした。
しかし学業面でも成績を残しつつ、彼は大学で本領を更に発揮していきます。NCAAトーナメント史上3人目となるトリプル・ダブル達成者となったのです。
マーケット大学は1977年以来となるFinal4進出を果たし、シーズン終了後のAP通信ランクでは全米6位となり、またウェイドもAP通信選出のオールアメリカ1stチームに選ばれました。
全米から注目されるNCAAトーナメントで一気に名を上げたウェイドは、4年生のシーズンを待たずして2003年のNBAドラフトにアーリーエントリーすることを決意します。
背番号『3』はマーケット大学の永久欠番となっています。
マイアミヒートの象徴・ウェイドの退団
2016年7月、2003年にヒートに入団し、エースとして君臨したドウェイン・ウェイドは、マイアミの地に3度のNBAチャンピオンをもたらします。しかし、その後、故郷シカゴへの帰還を決意し、シカゴ・ブルズと契約することになります。
大きな衝撃が走りました。当然ながらチームは再び再編を余儀無くされます。
再編後の2016-17シーズンは開幕こそ出遅れたものの、徐々に調子を上げプレイオフ争いに参入し、最終的には41勝41敗でブルズと同率で終了となりました。
ブルズとの直接対決の関係で、カンファレンス9位に終わったがハッサン・ホワイトサイドが新エースに名乗りを挙げるなど、実りのあるシーズンでした。