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ロックと文学の融合~ボブ・ディラン~【クラシカルロック編第3弾】

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皆さん、こんにちは!店舗管理部の花岡です!
年明けのせいか、少し世間の空気の流れが早いと感じる今日この頃でございますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか??
さてさて、今回も前回からの続き物、現在も愛されるクラシカルロック編第3弾!『~ロックと文学の融合 ボブ・ディラン~』です!今年の初め、ノーベル文学賞を受賞したことでも知られる、ボブディランについてダラダラですが、書いていってみようと思います!

●フォーク界の貴公子

ボブ・ディランと言えば、フォークの神様、上述の通りノーベル文学賞を受賞、フォークフェスティバルでの大ブーイングetc・・・

話題に事欠きませんが、元は1960年代アメリカ、アコースティックギターを片手にしゃらしゃら歌うフォークシンガーでした。

時代はベトナム戦争、キング牧師による公民権運動、ケネディ大統領の暗殺など、社会的に、歴史的にアメリカに大きな転換点が訪れていた頃でした。

この頃、社会のあり方に疑問、批判を投げかけたり、政治的な抗議の意味合いを歌詞に持たせる「プロテストソング」というものが出始めました。

ディランの名前が出始めたのはこの頃です。歌詞に社会批判、政治批判の意味を込め、よく政治集会などで歌っていたようです。

中でも有名なのは、キング牧師が「I have a dream ~」の演説を行った、1963年のワシントン大行進です。

ディランもこの行進に参加し、『風に吹かれて』を参加者の前で歌いました。

そのような活動の中でディランは頭角を現し、やがてフォーク界の貴公子と呼ばれるようになりました。

だんだんとフォークを歌うこと、プロテストソングを歌うこと、これこそがディランのアイデンティティであると、世間で認識されるようになっていきます。

●カテゴライズへの反発

場所は移り、イギリス。

1960年台初頭からビートルズ、ローリングストーンズ、キンクスetc・・・ロックンロールのジャイアンツが誕生し始めます。

大爆音でシャウト、ギターを掻き鳴らす彼らに世界中が熱狂していました。

アメリカももちろんこの熱狂の渦に飲まれ、イギリス⇒アメリカへの音楽的な大きな影響、通称ブリティッシュインヴェイジョンと呼ばれる事象が発生しました。

アメリカが音楽的にイギリスに侵略されたという意味らしいです。

ただ、なぜかカントリーやフォークを愛するアメリカの人々は、爆音エレクトリックギターで演奏する彼らを毛嫌いしていました。

野蛮、汚らわしい、うるさい、、、そういった批判を浴びせながら、フォークソングこそ高尚なものとしていました。

ディランはその高尚なフォークソングのアイコン的な存在として世間で認識されていましたが、だんだんとその期待に嫌気が差してきます。

元々恥ずかしがりやで気分屋、それにあまのじゃくでひねくれ者、そんな彼はフォークシンガーとして出発はしましたが、ひとつの枠に当てはめられることをとても嫌っていたようです。

ディランといえば『風に吹かれて』、ディランといえばアコースティックギター一本の弾き語り、ディランといえばフォークソング、、、

そんなカテゴライズに反発しはじめた頃に、ブリティッシュインヴェイジョンが発生。もちろんディランも大きな影響を受けました。

ビートルズと交流を持つようになった彼は、ドラッグへも傾倒するようになり、以前とは違う目つきをするようになっていきました。

どことなく虚ろな目です。

そんな中、ひとつの試みを考え始めます。エレクトリックへの転換です。

ついに彼はアコースティックギター一本での表現をやめ、ロックバンドの形態をとり、エレクトリックで演奏しはじめました。

●裏切り者と呼ばれて

聴衆のカテゴライズから外れ、一表現者としてエレクトリックで爆音ロックンロールを演奏するようになったディラン。しかし、聴衆からは大きな批判を受けるようになりました。

フォークソングを好むディランのファンは、フォークソングを歌うディランが好きなのであり、エレクトリックのディランには強い批判をぶつけました。

さらには「ユダ!(裏切り者!)」とまで罵られ、野次をぶつけられるようになりましたが、表現者として自分の音楽との向き合い方をディランが変えることはありませんでした。

彼は逆に反発、さらに大きな音で自分のロックンロールを鳴らし、がなっていきました。

この「ユダ!」の野次が出た時、彼はバンドメンバーに言います。

「思いっきりでかい音でやろうぜ」

そこで演奏された『Like a rolling stone』、もう涙が出るほどすばらしいです。元々いい曲なのに、ディランが文字通り、気合いの入った演奏をしているのが感極まってきます。

後日談ですが、この頃バンドメンバーがあまりにも大きい批判から、ディランと演奏することを恐れ始めました。

アル・クーパー、マイク・ブルームフィールドといった、この頃の有名人たちがディランのサイドを固めていたのですが、一人また一人とディランから離れていきました。

その中でまだ無名だった、若いお兄ちゃんたち(後のThe Band)がディランと演奏することを名乗り出ました。

上述の気合いの入った『Like a rolling stone』はこのThe Bandのメンバーと一緒に演奏され、ディランは後日「最強の騎士団が私を守ってくれているようだった」と語っていました。

●風に吹かれて

とまぁ、ディランの前半生を書いていきましたが、最後にあまりにも有名な『風に吹かれて』について書こうと思います。

未だに多くの人にカバーされ、愛されている曲です。

『風に吹かれて』以外にもディランの有名な曲は沢山存在しますが、やっぱりこの曲は愛される理由があるのだと思います。

あまり大きな声で言うことではないかもしれませんが、ただ単に戦争反対!ラブアンドピース!と言い切るのは、少し気恥ずかしさが伴うと思うんです。

ジョンレノンは余裕でそんなことをやってのけましたが、ディランはそういったことができない恥ずかしがり屋だったのではないかと思います。

ですが、そういった気恥ずかしさを「詩」という文学に乗せてそっと投げかける。そんなディランの向き合い方が、ロックにも文学性を持たせていったのではないかと思います。

以下、歌詞

どれだけの道を歩めば
一人前の「男」とみなされるのだろう

白鳩はどれだけの海を渡れば
砂の上で休むことができるのだろう

どれだけの砲弾が飛び交えば
撃つことを止めることができるのだろう

友よ
「答え」は風に吹かれている
「答え」は風に吹かれている

山はどれだけの間存在できるのだろう
海に浸食されるまで何年かかるのだろう

ある人々が自由になるまでに
人は何度顔を背けるのだろう
見ないふりをして

友よ
「答え」は風に吹かれている
「答え」は風に吹かれている

人は何度見上げれば
空を見ることができるのだろう

人はどれくらいの耳があれば
人々の悲しみが聞こえるのだろう

どれくらいの人が死ねば
あまりに多くの人々が死んだことに気づくのだろう

友よ
「答え」は風に吹かれている
「答え」は風に吹かれている

●まとめ

ロックと文学性の融合と言っておきながら、ディランの歴史を振り返るような内容になりました。

今回の記事を書くに当たって、ディランのノーベル賞へのコメントで以下のようなくだりを見つけました。

(文学も)歌も、常にうつろうこの世界で生きている。でも、歌と文学は違う。歌は読まれるのではなく、歌われることを意図してつくられている。シェイクスピアの言葉はステージで演じられることを意図されている。それはちょうど歌が、ページの上で読まれることではなく歌われることを想定しているのと同じように。

歌を意図されたままに聴いてみてほしい。コンサートでもレコードでも、人々が歌を聴く時に最近使う方法でも、どんな手段でもいいから。

結局、ロックと文学の融合なんて言っておきながら、そんな言葉自体も、私を含め世間の人がディランをカテゴライズしたがっている証拠なのかなとも思います。

どういったものでもこれはこれ、この場合はこう、そういった方程式のように約束されたものがあれば、人生もっと簡単なのかもしれませんけどね。

中々そうはいかないから難しい。でも楽しいのもこういうところから生まれてくるのだと思います。

ディランの生き方がそのまま仕事にも通じると考えるのは難しいですが、枠にはまった考え方に偏らないように、面白おかしくやっていけたらなぁとは思います。


では、新年、今年も元気よくお会いできればと思います。
お体にはお気をつけください!

では~~~~~~~~~!!!!

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